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宇都宮地方裁判所 昭和29年(行)8号 判決

原告 村田好

被告 栃木県教育委員会・栃木県 外一名

主文

被告須永芳雄は原告に対し金七万円及び之に対する昭和二十九年十月二十日以降完済まで年五分の金員を支払え。

原告その余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用はこれを八分しその一を被告須永芳雄その余を原告の負担とする。

この判決は原告勝訴の部分に限り被告須永芳雄に対し担保として金二万三千円を供託するときは仮にこれを執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は請求趣旨として原告に対し(一)被告委員会は同会が昭和二十六年十月二十日為した原告に対する免官処分の無効なることを確認すること(二)被告県は金三十九万九千四百十円及び之に対する昭和二十九年十月二十日以降完済まで年五分の金員を支払うこと(三)被告須永芳雄は金十万円及び之に対する昭和二十九年十月二十日以降完済まで年五分の金員を支払うこと訴訟費用は被告等の負担とする判決並に金銭支払につき仮執行の宣言を求める旨申立て、其請求原因として、原告は昭和十九年三月三十一日小学校助教諭を命ぜられたが、昭和二十四年三月三十一日足利市立第一中学校教諭に補せられたところ、同年暮頃以来同校々長被告須永芳雄より人権を無視する圧迫を受け教授権を侵害されたのであつて、その詳細は次の通りである。即ち第一人権侵害の事実として(イ)同年七月中原告が夏期講習の受講の許可を校長の被告須永芳雄に申入れたところ「婦人はやがて嫁入りするのであり、そうすれば学問の必要はなくなるし夏の暑い間をそんなに苦労することはない」と云われて許可をして呉れなかつた。(ロ)同年十月八日原告は親の代理で他出する為め賜暇を貰つたが、その前日校長室の近くで校長の被告須永芳雄は原告に「見合に行くらしいね」とからかつた。(ハ)同年十二月二十六日学校の忘年会が足利市内鳥常料理店で開かれたのであるが、出席者の着席の位置を抽籖で定めたところ、校長の被告須永芳雄は「私はもう一つ数の多い籖を引けば原告と並ぶ席に着席できたのに残念であつた」と云われ、宴会が終つて一同が帰るとき酒に酔つた被告須永芳雄は「原告は校長が送つて行く」と云うので、原告は恐怖を感じて隠れた為め、被告須永芳雄は一人で出掛け中途引返えして来て原告に会うと「貴女が一足先に出たと思つて後を追つたが見つからないので戻つて来たが送つたことにして帰る」と不足そうな様子で何処かへ姿を消したことがある。第二教授権の侵害の事実として(イ)昭和二十五年中原告が「中等国語二年三巻九『ひとりの力』(一)中めいめいの住む世界をよりよく美しくせよ」の授業中、被告校長須永芳雄は勝手に教室に這入つて来て、生徒のノートを手に取つて見たり生徒に話しかけたりした末、教室中央に立ち自から教授者になつてしまつた。(ロ)その頃原告がホームルームテイチヤーとして担任の級の教室に行くと、被告校長須永芳雄は先に勝手に教授していて原告は教授することもできずに終つた。(ハ)その頃原告が教授中被告校長須永芳雄は勝手に教室に這入つて来て、空席に横向きに腰掛けて机に頬杖をついて「あの書き方がどうの」「この字がどうの」と原告の教授を妨害して出て行つた。(ニ)その頃原告が教授中、その日は雨が降つていたが、被告校長須永芳雄は教室に這入つて来て、「洋傘に記名せよ」「これは誰のだ」と云つて教授の妨害をした。(ホ)昭和二十六年卒業式の頃原告が生徒と答辞のことについて話をしていると、被告校長須永芳雄は「今日生徒に話したことを全部明かにしろ」「いくらじたばたしてもあと二、三日しか置かないのだ」と恐ろしい剣幕で原告に迫まつた。(ヘ)その頃被告校長須永芳雄は原告に対し「貴女のような教員はどうなつてもよい」「組合の仕事をして学校の方をおろそかにしたから校長の職権で白羽の矢を向けた」「市内転校を希望しても私が認めない」「どうしても転任が厭なら退職して貰う」「結論的に云うと貴女に対し自分は血も涙もない」と云つて原告に転任を迫まつた。

かようにして被告須永芳雄は策謀を廻らし要路の人達に原告の悪宣伝をし原告を不適格教員と上申し事実を詐つた為め原告は被告委員会より昭和二十六年四月一日足利郡久野村小学校に転任を命ぜられた。この転任は原告の意思を無視したもので格下げであるし原告は通勤上に甚だ不便であるので、県教員組合に依頼して市内への再転勤を願い出たのであるが、原告としては誠心誠意教職に従事したにも拘らず、校長の被告須永芳雄より前述の通り精神的虐待を受けたばかりか郡部へ左遷されたので、神経衰弱に罹り、同年四月九日新任地へ赴任したが欠勤が多くならざるを得なかつた。そこで健康も回復して同年六月二十日出勤すると新任地の校長は被告須永芳雄の劃策に動かされ原告の出席を拒否するので原告は止むなく出勤を差控えていたのであつた。ところが同年十月二十二日突如原告は被告栃木県教育委員会より免官処分の通告を受けたのであるが、その理由は地方公務員法第二十八条第一項第一号によるとのことであつた。しかし右は被告須永芳雄の策謀により勤務実績がよくないと事実を詐つた為めで原告としてはその理由が了解できないので、同年十一月五日不利益処分の審査請求を被告委員会に提出したところ、被告委員会は原告に対しその内他の適当学校へ転職することとして、不利益を回復するよう適当な取計をすることを力説して、原告の審査請求を取下げるよう申入れがあつたので、原告もその言を信じて同年十二月二十四日審査請求を取下げたのであるが、被告委員会はその予約を果さないのである。原告としては免官と云う最大の汚名を荷つたまま失職による辛苦を嘗めて来たが、終戦後の混沌たる社会にあつて生きる為めの苦痛は実に筆舌の尽すところではなく、原告の精神上物質上受けた損害は莫大なものであるが、昭和二十七年十月三十一日漸く館林市渡瀬中学校に教諭として任用されるに至り、現在は館林中学校教諭である。よつて被告委員会に対しては右免官処分の無効確認を求め、被告栃木県に対しては免官処分が無効であり、別紙記載の通り原告に給与が支払わるべきであり且つ不当免職処分の為めの失費六万円と慰藉料金二十万円があるが、これは被告委員会の不当処分に原因しているのであるから、被告栃木県は賠償の責任があるのでこれ等の金額及び之に対する本訴状送達の翌日である昭和二十九年十月二十日以降完済まで年五分の遅延損害金の支払を求める為め、被告須永芳雄に対しては原告の教諭としての名誉を毀損されその地位を侵害された精神的苦痛に対する慰藉料として金十万円及び之に対する本件訴状送達の翌日である昭和二十九年十月二十日以降完済まで年五分の遅延損害金の支払を求める為め、各本訴請求に及ぶと陳述し、被告等の主張事実を否認し、被告栃木県及び同須永芳雄に対する請求は行政事件特例法第六条により関聯事件として認めらるべきであると述べた。(立証省略)

被告等訴訟代理人は本案前の主張として原告は被告委員会に対し行政処分の無効確認を求め被告栃木県及び被告須永芳雄に対し不法行為による損害賠償等金銭の支払を求めているが、これは民事訴訟法第五十九条に違背するので右金銭支払を求める訴は却下さるべきであると述べ本案につき原告の請求棄却の判決を求め答弁として原告請求原因中原告の助教諭、教諭任用の点、足利市立第一中学校補職久野村小学校転職の点、免官処分の点、不利益処分の審査請求その取下の点、渡瀬及び館林中学校補職の点は認めるがその他は全部否認する。原告が久野村小学校に転職した理由は、足利市立第一中学校では昭和二十六年度には二十学級から十七学級に縮少されたが、担任教科の関係から国語科担任の教員中より一名の転出者を出すこととなり、当時国語科担任の教員三田時田山口及び原告の四名であつたが、三田は教頭であり時田は男子教員で転出は適当でなく、山口は中学校及び高等学校の教諭の免許状を持ち勤務成績は優秀であつた。しかるに原告は昭和二十四年九月一日より施行された教育職員免許法によると、中学校教諭の資格がないこととなるので、久野村小学校に転出が決定されたものである。しかるに原告は久野村小学校に赴任したのは昭和二十六年四月九日であるが、この時同校校長に対し「転任は自己の意思に反するのでこれについては教員組合も同情的である」「自分は栃木県教員組合中央委員婦人部副部長足利支部婦人部長であるので、責任上学校を留守にすることがあるから承知されたい」と申したが、同月十三日病気欠勤届を出して佐野市方面に赴き、次に同月十六日神経衰弱との診断書を付して三週間の欠勤届を出して翌五月六日まで欠勤し、同月十八日には事故欠勤したが原告は都合により二、三日欠勤する旨の届出を為し、更に同月三十日原告は種々の関係で暫くの間休暇を得たき旨申し、翌六月二十七日まで(二十日を除く)正規の手続を履行せずして欠勤したものである。そこで久町村小学校長は原告に対し同月四日及び十三日の両度に原告方を訪れ、欠勤の理由なしとして出勤を勧誘したが原告はこれを拒絶し前記の如く欠勤を続けるので、被告委員会は遂に昭和二十六年十月二十二日委員会を開き原告の免職処分を決定したので、適法の措置であつて非難される理由はないと述べた。(立証省略)

理由

(一)  先づ本案前の抗弁につき審按することとするが、原告は被告委員会に対して免官処分の無効確認を求め、これと併合して被告栃木県及び被告須永芳雄に対し金銭上の請求をしているので右併合の訴は許されるかどうかであるが、その前に原告は行政庁を被告として無効確認を求めているのであつて、この場合は行政庁の所属する公共団体を被告とすべきであるとの意見もあり得るが、確認訴訟と取消訴訟とは性質を同じくすることを理由として免官処分をした行政庁である委員会を直接被告とすることを是認するのが多数の学説判決例のようである。そこで関連請求の点であるが、これもまた確認訴訟と取消訴訟とは性質を同じくするとの理由から本訴の行政訴訟が確認訴訟であつても行政事件訴訟特例法第六条の準用あるものとして、被告栃木県及び被告須永芳雄に対して金銭支払を求める原告の請求は免官処分の無効確認を求める原告の行政訴訟に併合が許されてよいと解する。勿論前記のような場合にその適用がないとの意見もあるのではある。結局被告の本案前の抗弁は採用し難い。よつて次に本案に入り審按する。

(二)  先づ被告須永芳雄に対する慰藉料請求につき按ずるに、原告は教諭たる地位と名誉を侵害されたとして十万円の賠償を求めるのであるが、原告の主張する具体的事実を順を追つて判断することとする。(イ)原告が昭和二十四年三月三十一日足利市立第一中学校教諭に補せられたが当時の同校校長が被告であつたことは当事者間に争がない。(ロ)原告は被告校長は同年春頃教諭の原告が夏期受講の許可を出願したのに対しこれを拒絶したと主張するが、仮りにその事実が証明されたとしてもこのことは特段の事情の加わらない限り原告の名誉毀損を構成するとは考えられない。その機会に両者間に取り交わされた原告主張のような言語は被告校長の人格を云々する資料とはなつても被告の法律上の責任を問う程の事柄ではない。(ハ)原告は被告校長は同年十月八日教諭の原告が賜暇を取つたとき「見合に行くらしいね」と云つたと主張するが、これもその事実が証明されてもこれまた被告の法律上の責任を問い得べき事柄ではないと考える。(ニ)原告は被告校長は同年十二月二十六日学校の忘年会が土地の料理店で開かれたとき、抽籖による席順で原告の隣りに着席できないのを残念だと云つたと主張しまたその宴会の帰途被告校長は原告を送つて行こうとして果さなかつたと主張するが、その事実ありとしてもいずれもそれだけではやはり法律上被告の責任を云々すべき事柄とは考えられない。

(三)  更に原告は教授権の侵害ありとの主張を為すので審按するが証人川島勘助同半田計三同須田正信同千葉千代世同市岡茂の証言原告本人の訊問結果を綜合すると、昭和二十五年中原告が前記足利市立第一中学校勤務当時、同校校長であつた被告は原告担当の国語の授業中その教室の廊下から雨天の日で傘を持ち「これは誰の傘か」とか「名前を書いて置かねばいけない」とか発言し、或時は教室に入り空席の児童の席に腰掛けて周辺の児童に種々授業上の問を発し、或時はホームルームの時間に原告より先にその室に入り原告の為すべきことを自から行つて、後に入つて来た原告をして当惑せしめた事実の存在することが認定できる。この認定に反する証人小柴貢同前島俊三同高橋一二の証言は採用し難い。勿論校長は部下職員の授業を監督する権限のあることは肯認できるが、前記証人の証言によると被告の右認定された言行と態度とは到底校長としての普通の職務行動とは解し難いものがあり明かに常道を逸脱していることを感ぜざるを得ない。校長のかかる行動が教え子の児童から尊敬の念を奪い、先生としての原告が恥かしい思をしたことは明かで、担任教諭の原告の名誉を傷つけたことも容易に理解できるところである。この外原告は被告校長は昭和二十六年の卒業式の頃原告に対し種々暴言を浴せたと主張するがその確証はない。しかし右認定の事実だけでも事柄は重大で被告はこれに対して法律上の責を負うべきは当然であつて、原告の蒙つた名誉毀損に対しこれを慰藉する義務がある。原告は慰藉料として金十万円を主張するが当裁判所は原告及び被告の社会的地位、職業、加害行為の動機倫理観の特殊性等諸般の事情を斟酌して金七万円を以て相当であると思料するのである。従つて被告は原告に対し右七万円及び之に対する本件訴状送達の翌日である昭和二十九年十月二十日以降完済まで年五分の遅延損害金を支払う義務があるので、原告の右請求はこの限度において正当として認容すべきもその他は失当として棄却は免れない。

(四)  原告は被告は前段認定の名誉毀損の事実の外にその策動によつて被告委員会を動かし原告をして久野村小学校に左遷せしめ、更に免官処分を為さしめたと主張するが、この点については後記認定の通りでその主張は認められない。

(五)  次に被告委員会に対する免官処分無効確認につき按ずるに、被告委員会が昭和二十六年十月二十二日原告に対し地方公務員法第二十八条第一項第一号により免官処分を為したことは当事者間に争がない。原告は右免官処分は被告須永芳雄が勤務実績不良として事実を詐つた為め為されたもので当然無効であると主張するのであるが、果して勤務実績不良の事実は存在しないかどうかを検討することとする。ところで成立に争ない乙第一、二号証(出勤簿)証人巷野義信同垣沼三芳(一部)の証言原告本人の訊問の結果(一部)等を綜合すれば原告は足利市立第一中学校より久野村小学校に転勤を命ぜられ、昭和二十六年四月九日赴任したが、以来同年六月末日までの間四月中に十四日間五月中に八日間六月中二十五日間(同月全部)病気欠勤を為したことが明かであるところ、被告委員会は原告の欠勤に対しその理由なしとして久野村小学校長において出勤を勧告したが、原告はこれを拒否したと主張するに対し、原告は被告委員会は被告須永芳雄が策謀に基き事実を詐つたことにより原告を久野村小学校に左遷した為め、原告は神経衰弱に罹り学校欠勤の止むなきに至つたものであると抗争するのであるが、原告の転勤が被告須永芳雄の策謀によるとの明確の証拠は見当らないとしても、原告の転任前前任校の校長である被告須永芳雄が原告に対し名誉毀損の態度を敢てしたことは前段認定の通りであるので、引続き原告の転任に当つても何かと原告の不利を来たすような行動に出でたのではないかとの疑念を抱き得る余地は考えられないこともない。それはそれとして証人高橋一二同小柴貢同前島俊三の証言被告須永芳雄本人の訊問結果等を綜合すれば、原告の勤務校であつた足利市立第一中学校では国語科の教員一名が定員の過剰を来たしたのであるが、当時の教員異動方針に基いてこれを郡部小学校に配置換することとなり、同校国語科教員四名の内実状に照らして原告が指定され、前記の如く久野小学校に転任せしめられたことが認定できる。この認定を覆して原告主張の事実を認めるに足る証拠はない。証人川島勘助の証言原告本人の訊問結果も反証として充分でないものと解する。しかし客観的事実自体から右転任が俗に云う左遷であることは断言してよいと考えられるのであり、この転任の対象とされた原告がこの左遷的転任に痛く煩悶したことは容易に理解し得られるところである。従つて医師である証人巷野義信の証言にある通り、その重症であるかどうかは別として、原告がこれが為め神経衰弱に罹つたことも自然の成行だと観察される。

(六)  そこで他方成立に争ない乙第一、二号証(出勤簿)証人垣沼三芳同室田幾次郎同高橋一二の証言等を綜合すれば、原告は昭和二十六年四月九日に久野村小学校に赴任したが前認定の通り欠勤が多いので、同校校長である訴外垣沼三芳は同月末日頃、同年六月四日及び同月十三日の三回に亘り原告方を訪問して原告本人に直接に或はその母親を通して原告の出勤方を促したが、原告は出勤するに至らなかつたことが認定せざるを得ないのであり、この認定を覆すに足りる証拠はないのであるが、当時原告の神経衰弱の程度が出勤を不能ならしめる程重態であつたならば、原告は校長の出勤勧告があつたとしても、勧告が不当であり原告の欠勤は病気欠勤として正当づけられるものと思料するのである。しかるに前記免官処分の理由である勤務実績の不良たる事実の存在しないことは、請求の原因たる事実でないとしても、請求を理由あらしめる事実として、立証責任が原告に属すると解せられるに拘らず、原告の右神経衰弱が出勤に堪えられない程重症であるとの証拠は明白でない。寧ろ前記証人垣沼三芳同室田幾次郎同高橋一二の証言等を綜合すれば、原告は神経衰弱とは云えそれだけの理由では欠勤の必要はなかつたのではないかとの疑が濃厚であるような感がする。従つて原告の勤務実績が不良であることを否定するのには証拠が不足であることになる。

(七)  尤も原告の為した久野小学校の欠勤は六月二十日を界としてその前期と後期との二段に区分して検討することが必要であると思われるのであるが、前期については既に説明を終つたので、後期につき説明すれば、前記乙第一、二号証(出勤簿)等により明かなように、原告は六月以後も引続き欠勤を続けその年である昭和二十六年十月二十二日の前記免官処分まで続いたのであるが、原告は六月二十日に学校へ出勤したところ校長に出勤を拒否されたと主張するのである。しかし校長が拒否したかどうかは別として真正に成立したと認める甲第八号証(休職願用紙)証人高橋一二同垣沼三芳同前島俊三の証言原告本人の訊問結果(一部)等を綜合すれば、昭和二十六年六月二十日長期欠勤の後原告が久野小学校に出勤した際、同校校長訴外垣沼三芳の申出でにより、原告は被告委員会足利出張所の教育課長であつた訴外高橋一二に面会したところ、同人より四囲の事情休職願を提出する外なき旨申渡されたことが認定できるのであるから、原告の後期の欠勤はこれを以て原告の勤務実績を不利益に評価する資料と為すには適当でないものと解されよう。

(八)  なお原告は被告委員会は被告須永芳雄の策謀により原告の勤務実績の不良なることを詐つた為め原告の免官処分を行つたと主張するが、右策謀の事実は遂に明認し得ない。この点についても被告須永芳雄は原告に対し名誉毀損を敢て行つたことを考えるならば、事の関連上原告の免官処分に関しても原告の不利益を計つたのではないかとの疑念を懐くことは無理からぬことながら、疑念は未だ疑念として指し置く外はない。

(九)  以上の次第であるので昭和二十六年十月二十二日被告委員会によつて為された原告に対する免官処分の理由である勤務実績の不良を否定するに足る証拠は存在しないことになれば、原告の為した不利益処分審査請求の取下に原告主張のような不都合な事情があつたとしても、右処分が無効であるとの結論には達し得ない。しかし勤務実績が不良であれば法律上は地方公務員法第二十八条第一項第一号に該当し、該当する者を免官処分に付することは法律上可能であるとしても、全国において教員に関しては該法条を発動した例は皆無と称してよい現状にあるのでもあり、原告の場合前記認定のような実情にあることを思うとき、原告に対し被告が同法条を適用したことは、教育行政の運営としては一抹の疑念を持たれても止むを得ないものがあるのではなかろうか。兎も角被告に対し免官処分の無効確認を求める原告の本訴請求は失当として棄却されねばならない。

(十)  最後に被告県に対する金銭支払の請求について審按することとする。先づ別紙記載の俸給及び手当の請求であるが、原告は免官処分は無効なるものとして昭和二十六年七月分以降渡瀬中学校補職の昭和二十七年十月までの俸給及び手当を被告県は原告に支払うべきであると主張するのである。しかし原告に俸給及び手当を支給すべきものであるとした場合その支払手続を為すものが被告委員会ではなく被告県であることは明かであるとしても、原告の前記免官処分が無効であることは前認定の通り肯定されなかつたのであるから、免官処分の無効を前提とする原告の俸給及び手当の請求は理由ないこと明瞭と云わなければならない。尚お原告は免官処分の為め渡瀬中学校補職の場合六級六号俸を支給される筈が、六級二号俸の支給となつた為め支給差を追給すべきであることも主張するが、前同様の理由によりその請求は認めることはできない。

(十一)  次に別紙記載の失費六万円の請求であるが、原告は前記免官処分の為めその不当を是正すべく関係方面に奔走する為め六万円を費消したと主張するのである。しかし仮りに原告がそのような費消を余儀なくしたとしても右免官処分が無効であつたことは肯定されなかつたことは前段認定の通りであるので、その免官処分につき原告が金銭を費消し損害を蒙つたとしても、これを被告県に賠償を求めることはできないことは明かである。尚お免官処分が仮りに無効のものであつたとしても、この免官処分の無効は被告委員会の何人の所為によるのか、或はその者に故意過失があつたかどうか、それ等の諸条件如何によつて国家賠償法により、被告県の賠償責任を判定せねばならないことになる。

(十二)  更に別紙記載の慰藉料二十万円の請求であるが、原告は前記免官処分の為め、計り知れない精神上の苦痛を蒙つたと主張するのである。そこで原告は右免官処分は無効のものであると主張するが、これが認容されなかつたことは前段認定の通りであるので、右免官処分の為め原告が計り知れぬ精神上の苦痛を嘗めたとしても、その慰藉は被告県に求めることはできないものと解する。従つて慰藉料が何程が相当であるかは判断するを要しない。尚お仮りに前記免官処分が仮りに無効であつたとしても、前段で説明したと同様にその免官処分の無効は被告委員会の何人の所為に基くものか或はその者に故意過失があつたかどうか、それ等の諸条件如何によつてはじめて国家賠償法により、被告県の賠償責任は定まるものと考えるのである。以上の次第であるので原告の被告県に対する金銭支払の請求は全部失当として棄却されることとなる。

(十三)  原告の被告等に対する本訴請求は以上説明の通りであつて一部正当として認容され他は失当として棄却されることになるので訴訟費用はこれを原告と被告須永芳雄に按分して負担せしめ、尚お原告勝訴の部分は原告において担保を供することを条件として仮執行の宣言を相当と認め、主文の通り判決する次第である。

(裁判官 岡村顕二)

(別紙省略)

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